「産声が消えていく」

100%安全なお産はない

内容
産婦人科医の菊池堅一は分娩に立ち会った母と子に訴えられていた。
帝王切開を行ったタイミングが遅かったためだとしたが、
菊池は過失はなかったと思っていた。

感想
お産が大変だと身をもって実感している。息んではいけない時に
息んでしまい、出血が多く、出産した後に気を失ってしまった。
ほんのわずかな時間だったがあの時の感覚は忘れられない。
医療が発達したこの時代にでも、100%安全なお産はないんだと
あの時に痛感した。
 
この本を読んだ時にその経験がまざまざと蘇ってきた。それと同時に
産婦人科の先生はこんなにも過酷な環境の中で仕事をしているのだなと
思うと感謝しかない。
だけど人の命を預かっているのだから、何かあると苦情などあるし、
訴訟や裁判で訴えられるリスクも持っている。
しかも小説の中の産婦人科医は過酷なあまり体力的にも精神的にもまいってしまう。
あまりにも過酷すぎて小説の中の話だと思っていたら、本の最後に
”この物語は現在の日本の医療事情、とくに産科医療を背景にしていますが、
登場する個人、団体等はすべて架空のものです。現実との相似は偶然の産物以外の
何物でもありません。ー著者”
この文面を見たとき、どこの産婦人科も似たり寄ったりの待遇や産婦人科の閉鎖が
現実にあるのだろう。確かに少子化で子供を産む人は少なくなっている。
子供を産む人が少なければ、採算もとれない。でも子供がいなければ、
世の中は回っていかない。ということは産科医も絶対必要ということだ。
少子対策と言うならば、産科医も確保しておかなければならない。
こういうところまで手厚い待遇をしてほしい。

お産で赤ちゃんが生まれて終わりではなく、始まりだ。お産で何事もなく生まれてきても
その後に色々な出来事が待っている。想像以上のことが起こり、パニックに陥ることも
あるし、怒りまくることもある。それでも今となれば、(私自身は)子供を産んで
良かったと思っている。まだまだ子育て中で怒ったり、イライラしたりすることが
沢山あるだろう。それでもたぶん子供を産んだことを後悔しない。

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