「狐狸庵閑談」

当時の感覚

内容
狐狸庵先生が世の中や友人、身体のことなどなどに対して
思っていることや考えることが書かれている。

感想
一番印象に残ったのが”夏が過ぎても 終戦の日のこと”だ。
私は戦争体験をしていない。だから戦時中や戦後の国民が
どういう風に考えていたのかわからない。まだまだ戦えると思って
いたのか、それとも狐狸庵先生のように
”「もう、いつ死んでもいい。何もかもが面倒臭い」
というのが実感だった。毎日に近い空襲や飢えや希望のない戦局に
私は自分の将来の設計図を作ることができず、自分の運命が目に見えぬ
暗い大きなものに支配されていることを思い、生き続ける悦びも希望も
なかったからである。”
口には出さないけれど、こういうふうに思っていたのか。
もし、私も戦争を体験していたら狐狸庵先生のように思っていたと思う。
『地図と拳』を読んだ時にも玉音放送が出てきて、私も虚無感の感覚をほんの少しだけ
感じた。この本の中でも玉音放送を終わった後のことがこう書かれている。
”今、思い出してもはっきり憶えているのは、玉音が終わったあとの、
何ともいえぬ虚脱感と静寂である。”
みんなあの瞬間は”終わった”のと”ほっとした”のを同時に感じたのだろうな。
こういう感覚も忘れてはいけないのではないか。だから戦争体験を
語り継ぐことは大切なのだなと感じた。

”我々が忘れていること”では狐狸庵先生が満州に居た時のことが
書かれている。日本人は満州人に対して横暴な態度や暴力を振るっていた。
悲しいけれど、それは事実だ。何の言い訳もできない。
その日本人に対して”「暴」に「徳」をもって報いた中国人”いわゆる
残留孤児や中国に留まらざるをえなかった日本人女性は中国人の
おかげで生きながらえた。と書いてあった。残留孤児については
ほとんど知識がない。残留孤児といえば、NHKのドラマで『大地の子』を
見たが、再会して感動的だったことしか覚えていない。
事実だとすれば、狐狸庵先生の書かれているように
”かつて終戦の時、中国は日本に我々が驚くような実に寛大な処置をとった。
私は今の共産党中国の政策に不安を抱く一人ではあるが、あの終戦時に中国のとった
態度には心から感謝している日本人の一人である。
それだけに日本があの国にたいして、とらねばならぬ礼節は尽くしてもらいたいと
思わざるをえない。”
少し調べたが養育してくれた中国人に対しては礼節は尽くされていない。
残留孤児に対しても最近になってやっと支援をした状態だ。
(この情報にはさっと調べただけなので、もし間違っていたらすいません。)
結局戦争責任と同じで何もかも調べずにうやむやにして終わらされていく気がする。

狐狸庵先生の考え方が昭和の世代の私には、ドンピシャに当てはまる。
”受験産業屋を批判する”や”日本の学校は間違ってる”は私も狐狸庵先生の意見に
同感だ。幼いときから塾など行かずにもっと遊べばいいのにと思う。
そうしたら、いろいろなものに興味を持って、自分の好きなことも
わかるのに。受験勉強ばっかりしていたら、貴重な時間が
無駄になりそう。

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