生きていればその苦しみも時とともに癒える
内容
「心理学者、強制収容所を体験する」
感想
ユダヤ人であるだけで、強制収容所に行かなければ
ならなかったのが不思議だ。
そもそも国が推進して人種差別すること自体が
あってはならないことだ。
収容所の生活は過酷を極めた。食料不足、睡眠不足、肉体同労
不衛生、カポーやナチス親衛隊員や収容所監視兵の罵詈雑言。
こんな生活をしていたら、肉体的、精神的に異常をきたすのは
想像に難くない。
これらの体験をするのだったら、すぐにガス室へ行くのが
まだましではないかと思ってしまう。でもこの作者は幸か不幸か
生き残った。精神科医という職業もあって、収容所の中の人々を
観察し、励まし生きる希望を被収容者に与えた。
作者自身も時々刻々と変化する中で自身の気持ちもありようも
書かれていた。
私が一番印象に残ったのは「第三段階 収容所から解放されて」の中の
最後の部分だ。
”そしていつか、解放された人びとが強制収容所のすべての体験を振り返り、
奇妙な感覚に襲われる日がやってくる。収容所の日々が要請したあれら
すべてのことに、どうして耐え忍ぶことができたのか、われながらさっぱり
わからないのだ。そして、人生には、すべてが素晴らしい夢のように思われる
一日(もちろん自由な一日だ)があるように、収容所で体験したすべてが
ただの悪夢以上のなにかだと思える日も、いつかは訪れるだろう。ふるさとに
もどった人びとのすべての経験は、あれほど苦悩したあとでは、もはやこの世には
神よりほかに恐れるものはないという、高い代償であがなった感慨によって
完成するのだ。”
収容所の体験はすぐには肉体的にも精神的にもすぐに回復するものではない。
だが、時間をかけて少しづつ少しづつ癒していくものだと思った。
起こったことは取り返しがつかない。そしてそれらを体験した人たちは
それを受け入れていくしかない。受け入れていくしかないけれど、
その前に戦争や人種差別をすればどういうことになるのか
過去からも学ぶべきだ。それらの出来事はけっして人類にプラスとしては働かない。