遠藤周作5作目の作品で面白かった。
宗教色が強く出ていたが、しかし自分が思っていた
ものとは違った。
磯辺の妻が亡くなった後の喪失感が現実味を帯びて
こちらまでつらくなる。今まで当たり前のようにいた人が
いなくなって、それまでの日常が変わっていく。
それでも磯辺が妻が亡くなった日常に抗うように、妻がいるように
ふるまう姿は読んでいて心が痛くなる。
いつもいる大切な人がいなくなるということは
きっとこういう風に思わないと喪失感が埋まらない。
それでも時が過ぎると喪失感と共に何気ない瞬間に何気ない思い出を
懐かしかったり、故人に対して言ったことを後悔したりすることなど、
故人を思い出すのは大事なことだし、それが生きた証だと思う。
大津が神については人間の中にある善と悪ははっきり区別
できない、仏教にもヒンズー教にも大津の思っている
神はどこにでもいると考えている。
日本以外の国での基督教は一神教だから大津の考えは受け入れられない。
大津は日本に合うような神父になろうと思っていたがそのような考えでは
どこの国の教会にも受け入れられなかった。
日本は仏教でも神でも基督教でも多神教だから大津はその影響もあったと思う。
私が思っていた宗教は基督教がいかに優れているのかが書かれていると思っていた。
だが大津の考え方は基督教という宗教という名を超えた物だった。
家族が基督教徒というだけでなぜ基督教の神にこだわるのかわからない。
仏教に改宗してしまえば何の問題もないのにと思うのだが。だが私は基督教や宗教には興味がないからその気持ちは理解できないのかもしれない。
戦時中のことが書いてあったが特に印象的なのが
若い兵が亡くなるときお母さんと叫ぶ
このように書かれていると心がえぐられるようだ。
ガンジス河の沐浴は身の汚れの浄化と輪廻転生からの解脱を願う行為と
書いてある。私は印度にもガンジス河にも行ったことはないが
独特の雰囲気があるのだろう。神聖な場所とは分かっているが
行ってみると三條の妻と同じ反応になるのではないか。
それは多分輪廻転生からの解脱を信じていないからだと思う。