「火定」

未知の病にどう立ち向かうか

内容
天平時代、高熱を出し、いったん下がるがその後、全身に
豆粒ほどの疱疹に覆われいずれ死に至る。この病は京の町に
広がっていく。

感想
今のように医療が発達していない中、どういうふうに未知の病に
立ち向かうか。感染症は人から人へうつるのだから人の接触を
なくせばいいと思うが、そうなると少し前の日本のように経済が動かなく
なる。それに外に出れないと、うつ病や精神的な病気にもなりやすくなる。
今の時代でさえコロナで政府も行政もその他の人々も彷徨って色々な
対策をしたが、結局はこれが最善という対策ができていなかった。
前のブログにも書いたが、事故や感染症は前もって、ある程度訓練や対策を
しっかりしておかなければ、いざ起きたときにはその場限りの手立てしか
できない。もしサーズウイルスが入っていた時に感染者が増えていたならば、今回の
コロナでもそれなりに前準備は少しはできていたのではないかと思う。

感染症が増えて先が見えなくなると宗教や宗教まがいが増えてくる。
天平時代ならなおそういう神仏を信じて、感染症に家族だけでも罹らないように、
罹っても治るように祈る気持ちはわかる。そういういかがわしいものに先導
されるように暴動や奪略するのも、普段の鬱憤や不安からくるからだ。
その時代の人々だったら、もしかしら自分もその暴動や奪略の中にいるかも
しれない。現代でも他の国では暴動のニュースを見たことはあるが、日本で
暴動があったのはあまり聞いたことがない。それは今の日本が色々と安定していて
いるからだと思う。不満はあるが政府や行政がそれなりに動いてくれて
医療もある程度は満足に受けられることが安定につながっているのだ。
だから暴動など起こらないのだ。(日本人の気質もあると思うが)

子供たちの感染が分かって、隆英と一緒に蔵の中に入るシーンはうるっとした。
隆英は子供たちだけではなく、自分も一緒に入ることでどれほど子供たちを
かわいがっていたのか。子供たちだけで寂しい思いをさせてはいけない。
その思いを知っただけで胸が詰まってしまった。

“ようやく分かった。医者とは、病を癒し、ただ死の淵から引き戻すだけの仕事では
ない。病人の死に意味を与え、彼らの苦しみを、無念を、後の世まで語り継ぐために、
彼らは存在するのだ。”
繰り返す感染症や病気に対して医療関係者はこういう気持ちでいるのかもしれないと
想像した。病人に関わったことで医師や看護師やその他の人たちが感染してしまうリスクがあるのに治療をしてくれる。それなのに少し前には医療従事者が疎外されたり、医療関係者の子供がいじめにあったりそんな悲しいことがニュースになっていた。

エッセンシャルワーカーに感謝し、もっと優遇してほしい。国や県や市はそのことをもっと考えないと立ち行かなくなる時がくるのではないかと不安になる。

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