どの家庭でもありうる
内容
姑が急に亡くなり、舅の様子がおかしくなる。
感想
老いるとはどういうことなのか。少し前に老いについて書いたが
そろそろ自分が”老いること”について考えないといけないような
年になってきた。介護する立場にそろそろなるのか、それとも
自分が介護される立場になったらどういう考えでいればいいのか。
できれば、どちらの立場にも立ちたくはないが、そういうことが
絶対ないとは言い切れない。
本を読んでいると茂造の言動や行動、昭子とのやり取りを読んでいると
思わず笑ってしまう。当人同士や周りの人たち(信利や敏)は笑うに
笑えないのだろうけれど、会話のちぐはぐなところが面白い。
だけど、茂造が凄い足の速さで徘徊して行方不明になり警察の
お世話になることや、夜中も起こされて昭子が睡眠不足になり体調が
おかしくなること、最後のほうにはおむつが外れて大便を畳に広げているのは
笑えなかった。どの行動も人を疲弊させる。
夫の信利は自分の親だというのに昭子に介護を任せっきりにして
昭子同様に私も読みながら憤慨した。自分の親なんだからなんとかしなさいよと
思ってしまった。
昭子たちは老人ホームの話も出ていたが、満床ですぐには入れないと
老人福祉指導主事に言われてしまう。結局、認知症になったら
在宅でお世話をしないといけないのか。どの時代も同じだ。
この小説は昭和47年発行だ。その当時と比べて保険制度も違うし、
老人ホームの種類や数も増えていると思う。でも今の介護と昔の介護の状況は
激変に変わったかといえばそうでもない。施設に入りたくても入れないし、
介護士もすぐ過酷だから辞めたり、圧倒的に介護士の人数が少ないと
そういう話はよく聞く。根本的に何が原因なのか。そういうところも
考えないといけない。この問題が目の前に迫っていると思うと
憂鬱になる。もし舅や姑を介護しないといけない時はどうすればいいのか。
困っているときに本当に自分を助けてくれるのは誰か。
助けてと声に出すことが大事というが、声を出しても助けてくれるという
保証はどこにもない。