「地図と拳」

虚無感そして希望
 
内容
1899年から1955年まで。細川と高木の出会い、満州での出来事、
高木家族と須野、細川との交流を通して敗戦までを描いた作品。

感想
作者の作品を読むのは初めてだ。直木賞受賞した作品なので
自ずと期待は高まる。しかし本のページ数が600ページを超えるので
”この本全部読めるかな”と不安になった。初めのうちは
なかなか進まず、もしかしてやっぱり挫折するかもと思っていたが、
途中から面白くなり後半はあっという間に読んでしまった。

本筋とはあまり関係にないところだけれど、一番印象に残った。
”安井は妙に冷静だった。この放送が偽物であると看破したからだ。
皇軍は勇敢に戦い、各地で大きな戦果をあげ続けていた。ソ連という大国に
騙し打ちをされても必死に戦い、彼らを追い返す策を練っていた。米国の新型爆弾など
恐るるに足りぬ。相手の爆弾が尽きるまで、戦い続ければいい。我々は無数の
英霊に守られながら、彼らの犠牲を無駄にせぬよう、支那、米国、ソ連という
三つの敵と互角に戦っている。
我々は不敗だ。これまでも亡国の危機はあったが、日清戦争に勝ち、不可能と言われた
日露戦争に勝った。まだ戦えるというのに、降伏などあり得ない。
ゆえに、この放送は偽物である。”
この安井の感情が痛いほど、気持ちに沁みた。
何のために戦争をして、何のために戦い、命を犠牲にするのか。
何のために敵国を侵攻するのか。他国を支配するために戦うのか。
何のために他国の人々を殺し、自死に追い込むのか。
今までお国のため、天皇陛下のために戦ってきた安井が、天皇陛下の玉音放送を聞いて
錯乱し、首を吊ったのは仕方がなかった。読んでいても気持ちが苦しくなった。
こんな気持ちのまま読むのは辛いなと思っていたけれど、
明男がアビゲイル号に乗船中の会話に希望が持てた。
”「今決めました。建築をします」(中略)
自分には資格がないかもしれない。だが、無資格でもいい。地獄に堕ちてもいい。
自分はどうしようもなく、建築が好きだった。”
安井のように敗戦後は虚無感に襲われて、命を絶つ人がいる一方、
明男のように戦争は終わったのだから、自分が好きなことをしてみようと
新たな希望を持つ人がいる。自分だったらどちらだろうと考えてしまった。

読み終えた時、戦争とは何かと考える機会になった。戦争を経験したことは
なくても、小説の中や実体験が載っている本を読むことで人々が苦しみ、
飢餓になったり、植民地にしたり、殺人を犯したり、病気になったり、
挙句の果ては原爆を落とされたりする。原爆は日本だけだが、それでも
その傷跡は深い。
まだ、ロシアとウクライナの戦争は続いている。私の中では十分戦ったのだから、
もうやめてもいいと思う。もっと違う方法で解決すればいいのに。
早く戦争が終わることを願う。

¥2,420 (2023/03/21 10:44時点 | Amazon調べ)
スポンサーリンク
タイトルとURLをコピーしました