「信仰」

価値観のすり合わせに苦悩する本

内容 
「信仰」「生存」「土脉潤起」「彼らの惑星へ帰っていくこと」
「カルチャーショック」「気持ちよさという罪」「書かなかった小説」
最後の展覧会」の短編集

感想(ネタばれあり)

・信仰
永岡のお金に対しての考え方はすごく共感できる。外食して家で作ればこの値段の
半分くらいかなと考えるとそれなら家で作ったほうがいいなあと思ってしまう。けれど作るのはめんどくさいとかたまに外で食べたいなあと思うときはある程度の予算は考えるがいつも自分が思っているのとは反する。永岡のように自分の価値観にまっすぐでその考え以外は間違っているとは思わない。そう考えると私の価値観は割と緩いのだ。永岡のように一本の信念がない。
永岡は小学生のころ大人にほめられたことで”安いことは良いこと。原価率がいくらと考えることが大切。”そのことを友達や恋人にも強要してしまい、だんだん疎遠になってしまう。たぶん永岡の考え方には遊びがない。徹底的に自分の価値観を他の人に強要して疲れさせてしまう。けれど友達とは一緒にいたい、遊びたいから価値観を無理にあわせていたのと自分の価値観とのジレンマがでてしまう。自分の価値観を持っていること自体は悪いことではない。お金だって有限なんだからそれくらいのことを考えてないとあっという間に破産だ。だから同じ価値観をもった友達や恋人を作れば、ジレンマにも悩まない。あまりにも価値観が違うと付き合うのも楽しくないから友達や恋人もいつかはいなくなってしまう。今はSNSがあるからそういう価値観の人はたくさんいるから探そうと思えばすぐに探せる。そういう人たちと付き合えば、友達と一緒にいることと自分の価値観が同じだから楽に付き合えると思う。

・生存
”生存率とは65歳までに生きられる可能性がどれくらいか。数値で表したものだ。”
これを読んだとき生存率ってそんなに大事なことかなと思った。もちろん
健康で長生きできればいいとは思う。でもクミが”生存率に支配されて、コントロールされた末に絶滅する。その繰り返しなんじゃないかって”。私もクミの意見に賛成だ。
努力することでステータスをあげるのはいいけど、生存率にこだわるのはどうかなと疑問を持つ。そういう世界に生きるようになったら数値化されること自体に反発が起きそうだ。
Dのほとんどは裸になって山に暮らすようになり、野人になる。姿も口が大きくなり両手は前足になり、全身の皮膚を覆い隠すように真っ白な短い毛がびっしり生える。
私もクミと同じようにDになり野人化することで自然に帰ることを自分の意志で選ぶ。
野人化するのも一人だと嫌だが、みんなでやれば怖くない。それで殺されることもあるのだがそれも自然の法則に従って行くのも悪くはない。

・土脉潤起
「生存」の続きのようだ。姉が野性に返り、野人になった。言葉も「ぽう」としか言わなくなった。姉のそれまでもことは書かれてなく、なぜ野性に返ると言ったのかはわからない。
でも”野性に返る”なにかがあったのだろう。野人になればやはり姿も変わる。それに山で暮らすことは生きることを保障されていない。それでもそれを選んだのはそれが最良だと思ったからか。姉のそれ以前の生活で何があったのかを知りたくなった。

・彼らの惑星へ帰っていくこと
同調圧力という言葉がすぐ浮かんだ。みんなと同じにしないと、目立ってはいけない。
”学校は恐ろしい場所だった。異物はすぐに発見され、集団から迫害され、嘲笑の対象になった。” 私は小学生の頃作者と同じようによく泣いていたがそんなことはまったく
考えなかった。だから「イマジナリー宇宙人」とも出会わなかった。もし作者のように
繊細だったら「イマジナリー宇宙人」が出て、もっと内に入り込んで今と違う人生を歩んでいた。そしてもっと深く物事を考えるようになっていた。

・カルチャーショック
「彼らの惑星へ帰っていくこと」と同じようにこれこそ同調圧力そのものだと
思った。”均一”と”カルチャーショック”の地区がある。”均一”はどこまで行っても同じビル、同じ光景、同じ食べ物だ。”カルチャーショック”は今の世界だ。たぶん”均一”のほうが進んでいる地区。でもその地区だとどこまで行っても同じ光景はつまらない。同じ食べ物はもっと味気ない。私だったら絶対”カルチャーショック”に住む。選択肢がたくさんがあるほうが
おもしろい。そうなると当然経済格差などが出てきて不平不満もあるし、納得できない出来事もたくさんある。それでもそこの地区を選ぶ。全部均一の世界なんて楽しくない。

・気持ちよさという罪
「彼らの惑星へ帰っていくこと」「カルチャーショック」と続いているようだ。
でもこの感想を書こうと思った時、なかなか考えがまとまらなかった。
”「自分にとって気持ちがいい多様性」が怖い。「自分にとって気持ちが悪い多様性」が何なのか、ちゃんと自分の中で克明に言語化されてたどり着くまで、その言葉を使って快楽に浸るのが怖い。”
ここまで多様性について深くここまで考えることはなかった。ただ受け入れるだけ。
否定するものでもないし率先してアピールするものでもないと思っている。
でもその多様性を言う言葉で傷ついている人がいるということに気づきもしなかった。
本を読むということは他の人の気持ちも疑似で分かるようになるということがある。
他の人も気持ちを理解できない時もたくさんがあるがこういう気づきができるのも本を読むことも素敵なところだ。

・書かなかった小説
クローン家電の話で途中からどれが本当の夏子でどれがクローンなのかだんだんわからなく
なってきた。クローンだからみんな双子、三つ子のようだがそれぞれ性格も癖も違う。それに気づくのは本物の夏子だけ。シーンごとに区切られているからドラマにしやすい。
話も面白いし本当にドラマになればいいのに。

・最後の展覧会
他の作品とはまったく違う。「松方幸次郎とカール・エルンスト・オストハウスの架空の
出会い」をテーマに書き下ろした作品。
だからマツカタロボットなのかと納得した。”身体の中に花が咲く”これは感動することではないか。でも銀色の棒状の宇宙人は”心を支配されてしまう、心が今までにない形に変容し、化学変化し、今までとは違う自分になってしまう。”ことは悪い夢だと思ってしまい、
Kを殺しマツカタロボットもあとを追って死んでしまう。五万年後大量の緑色の宇宙人が
展覧会にやってきた。Kもマツカタロボットも展示品になってまだまだ展覧会は終わりそうになかった。何年たっても何百年たっても芸術は続くと書いてあるようだ。

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