狐狸庵先生節が炸裂
内容
狐狸庵先生が考える手紙を書くということ
感想
今では手紙や葉書に文章を書き、送るという行為をなかなかしない。
ラインやメールなどすぐに書いて、すぐ送ることができるからだ。
私が小学生の頃はインターネットがなかった。だからメールやラインという
ものがなかったら年賀状もよく書いた。その頃は文通も流行っていて
見も知らずの人と文通もしていた。便せんや封筒もかわいいものを選んで
(切手までは選ばなかったが)手紙の内容も書いて、読み返しては、消してを
繰り返した覚えがある。また相手から返事が来るまでの待つ時間が、ドキドキ
ワクワクした楽しい時間だった。この本を読んでいてそのことを思い出した。
”第二講 手紙を書く時に大切な一寸したこと”の中で
”手紙は「読む人の身になって」”は本当にそうだよなと思った。
読む人の側にならないと、自分勝手な文章になって、送った相手にも失礼だ。
しかし、自分が手紙を書いているときは夢中になって書くので
そのことになかなか気が付かない。読む人に身になって書くとはなかなか
できることではない。
でもそういうところを狐狸庵先生が指摘して手紙の書き方を指南している。
男性が女性を誘う手紙の書き方や誘われた女性が断る返事の書き方などの講がある。
私は既婚でもうそういう年齢でもないのでそこのところは流し読みをしていたが、
”病人への手紙で大切な一寸したこと”は今から私たちの年代には必要なことだからだ。
手紙ではなくともラインでもメールでも相手を慮って書くことは同じだと思う。
手紙のほうが紙だから手元に残るので、私たちの世代は紙のほうが嬉しいかも。
病気をして入院していれば、だんだん気分も下向きになって、かける言葉にも
気を付けなければいけない。相手との関係性もある。。いくら仲が良くても
迂闊なことは言えない。特に重大な病気の時はなおさらだ。そういう時に
狐狸庵先生が書いた、病人への見舞状のコツは良かった。
(一)月並み文句は書くな
(二)病人をイラだたせ、ヒガますことを書くな
(三)病人に同じ病気の人の不幸を書くな、同じ病気の人の全快を知らせよ
特に(三)は参考になった。しかしその状況になったら、見舞状を書けるか
どうか自信がない。相手のことを思うあまり(一)の月並みな言葉しか
出てこないような気がする。
相変わらす、遠藤周作の小説とエッセイの落差が面白い。小説では考えさせることが
(凄く真面目なこと)書いているのに、エッセイに書いてあるを読むと
言葉も砕けて読みやすいし、ユーモアもあるし、本当に同じ人が書いたのかと
と思うぐらいだ。小説も好きだが、どちらかというと私はこの今読んでも
笑ってしまうエッセイのほうが好きだ。
もし狐狸庵先生が生きていたら、今にあった面白いエッセイを書いてくれるのだと
思う。狐狸庵先生が生きているうちにリアルタイムで読まなかったのが悔しい。