「海と毒薬 」を読んで

時代背景に戦争がある。生体実験事件を題材にした
小説だが、戦争のせいにして仕方がないと思うか
糾弾するべきかを考えてしまう。
今なら糾弾すべきだが、その当時だったら、その場所にいたら、
同じ立場だったら、と思うとそれが出来るのか?

戸田は幼少期から大人が喜ぶツボを知っている、頭が
賢い子だった。
ただ、善悪は知っていたがそれを実感することはなかった。
良心の呵責がない。だから、生体実験に加担したのか。

勝呂は一度は生体実験に加担しようとしたが、できなかった。
それこそ良心の呵責か。

勝呂のかろうじて生体実験に加担しなかった、善と
戸田の生体実験になんのためらいもなく加担した、悪が
対称的に見える。

大学病院での手術は常に生死が付きまとって、特別なことでもなんでもない。
準備もやることも同じなのに助けたいと思い手術をするのか、
それとも生体実験で死んでもいいと思って手術をするのか。
死んでもいいイコール殺すとなるとやはり罪悪感がずっと付きまとう。
勝呂はそのときは生体実験に加担しなくてよかったのではないか。

楽天ブックス
¥407 (2022/05/31 09:12時点 | 楽天市場調べ)
スポンサーリンク

コメント

タイトルとURLをコピーしました