「自分の頭で考える読書」

多面的な切り口の一つ

内容 
本との向き合い方を書いた本

感想
この本は図書館で借りてきた本だが、本を開くたびに温泉や銭湯の
においがする。においが染み付いてとれないようだ。どこでこの本を読んで
いたかわからないが、なぜこのにおいが染みつくほどになるのか。
温泉や銭湯に行くたびにこの本のことを思い出す。
それがいいことか悪いことかはわからないが、この本のにおいとともに
私の記憶に残るだろう。

私は本を読む以上は完読が必須だと思っていた。どんなにおもしろくなくても
書いた人にすべて読まないと申し訳ないのと、最後まで読むことで何か新しい発見があるのではないかと思い込んでいた。
でも、最近その考えは捨てた。読みたい本の冊数を考えると面白くない本、
興味のない本を無理して読む時間が勿体ないと考えるようになった。
少し前にそのことを初めて実践した。その本は自慢話のようなことがつらつら
書いてあって(私にはそう書いてあるように思えた)、結局何が言いたいのか
わからないまま半分くらいまで読んだ。たぶんその先も自慢話ごときものが
書かれているだけでたいして自分には収穫になることがなさそうだったので
初めて自分から読むことをやめた。多少の罪悪感が残るかと思ったが、
そうでもなかった。これから面白くない本は読むのをやめてもいいのだと思ったら
気が楽になった。

”「読書の病」を治療しよう”のなかで”完読の病”はまさにこのことを書いている。
本との相性があるので読むのが苦痛だったらやめる。
それと”今が読むべきタイミングでない本”があるという。自分にとって旬では
ない本は無理せずに本を開く時まで待つのが良い。しかしその本を閉じる前に
せめて何が書かれている本なのかという概要だけは把握しておくこと。
この本の『問い』と『答え』はどのようなものかという概要を把握しておくこと。
自分の中で問いと答えを考えるには普段から意識しないと難しいなと思ったけれど、
概要を把握しておくことは大事なことだ。たまに考え事をしている時、この問いって
どこかで聞いたことがあるけど、どこだった?と思うことがある。その時にあの本の
一節だったとたまに思い出す時がある。けれど頭の容量の関係か記憶の関係かほとんど思い出すことがないことのほうが多い。
「読書の病」では他にも”積読の病”、”実践の病”、”コミットメントの病”、”読書時間不足の病”があり、私はほぼ全部に罹患している。
特に”読書時間不足の病”は読書をしてる時間より携帯をいじっている時間が長い。時間は
あるけれど、読書をしない。本を読み始めると面白いのに携帯になびいてしまう。
テレビや携帯のない場所にいて、本を持っていると読書が進む。子供の学校で推奨しているメディアコントロールをすれば、本を読む時間は格段とあがる。それがわかっていながら
なぜかできない。映像には抗えない。

著者のことは何も知らずに読んだが、内容も面白かったし、イラストもかわいかった。
読書とつく本は当たり外れが多い気がするが、この本は当たりに入る。
この著者のほかの本も読んでみたい。

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