女は強し、男は、、、
内容
短編集「あかん男」「プレハブ・パーティ」「ことづて」「へらへら」
「さびしがりや」「狸と霊感」「かげろうの女ー右大将軍道綱の母ー」
感想
・あかん男
主人公は35歳。27歳の甥っ子にお見合いで先を越されている。
容姿は”頭髪が横びんと後ろにしか毛がない。よってサイドからサイドへ
スダレの如く髪を梳かしつけて、金語楼スタイルをしています”
結婚前の男の人にとって頭髪の問題は切実だと思う。でも結婚するなら
見た目が良いほうがいいとか思うかもしれないが、いざ付き合いやら
結婚してみると外見より中身の大切さがわかる。
結婚は幸せな日々が待っていると思ったら大間違いだ。お互いに地獄のような日々が
待っている。妻に、夫に互いに気を使い、子供が出来たら子供に付き合わされ休日も
ゆっくりする暇もない。人それぞれの捉え方だがそれを幸せと感じるのか
地獄と感じるのか。そういう思いの中でお互いが思いやらないと結婚は継続しない。
ある程度年数が立つと惰性なのかなんなのか分からないが”離婚”の二文字が気持ちから消えていく。”やっぱりこの人じゃないと”という気持ちではない。”しかたなく一緒に
いる”が近い感情だ。
きっと貞三は優しそうだから、いずれは結婚できると思う。意外と頭髪が薄いのが好きと
そう思う女の人は多いのではないか。ふくよかな女の人が好きという男の人が多いように。
・プレハブ・パーティ
男の下心で乱交パーティを計画したが女にやられっぱなし。浅はかにもそんな計画を立てて
誰がおいそれとくるのか。少し考えればわかりそうなのだけど、そんな体験をしたという話を聞いたからなんの疑いもなく計画したのだろう。でもそのあとの女の人たちの行動が爽快だった。食べ物を食べつくし、足で腰を蹴られ、借りてきた毛布もほとんど使われて、男たちは玄関に近い三畳ほどのところで寒さの中、女たちの寝言や歯ぎしりがうるさくて眠れない。
最後の”「あああ、あしたは子供にみやげでも買うて帰ったらならん」とつい出た広末のつぶやきの方が男たちには身にしみるようであった。”この一言で男の人も間が抜けてて憎めないなあ、あほやなと思った。
・ことづて
サヨ婆さんの気持ちは痛いほどわかる。私も少し前BTSのファンと言ったら
妹に子供くらい離れているのに変と言われた。そのことがきっかけではないけど
BTSのファンはやめてしまった。それからしばらくたつとあっという間にBTSが世界の
アイドルになった。その時私は自分の目に狂いはなかったとなぜかわからないが
変な自信がついた。
サヨ婆さんや私のように年が離れているだのなんだのと、人が好きだと言っているのに他人がどうこういうことはない。好きなものは好きなのだ。
・へらへら
夫の永谷浩三が蒸発した。団地の隣の川添夫人も蒸発した。お隣同士同じ時期にいなくなったので駆け落ちしたのではないかと勘ぐった。永谷の妻と川添氏とは互いに子供がいるので一緒にご飯を食べたり、一緒に互いの夫や妻を探しに行ったりしていた。だんだんそういうことが多くなると当然恋仲になってしまう。こういう話は本当にありそうな話だ。今まで意識をしていなかったのがあるきっかけで仲良くなる。でもまだ若いからということも
あるんだろうと思う。これが50や60だったら旦那が蒸発しようが何しようが
放っておくような気がする。借金でもあれば、血眼になってでも探すが。
・さびしがりや
この話を読んでいてちょっぴり悲しい気分になった。普段どんなにうるさくて元気な人でも過去になんらかのことはあったなと思った。過去に清廉潔白で何もない人のほうが少ない。
オテツ婆さんの息子は5、6年前にタンクローリー車を運転していてひっくり返し、付近の民家をぶっとばして爆発され、六、七人の死傷者を出した。
安江は父親が金を貸した相手と口論して刺されたことや男がいたけどオナゴつくって別れたこと、子供がいたけれどおばあちゃん子で懐いていたからおいてきたこと。
文治は咲子と連れ子のノブ子と暮らしていた。咲子は口やかましく、金にも汚かった。
だから咲子には愛情はなかったがノブ子はかわいくて仕方がなかった。
その二人が九月の水害で亡くなった。
”文治は何ともしれず、いらいらとした思いでいる。誰も彼もさびしがりやばっかりで
腹がたつ。人間、もっとえげつない奴でないと、あくかいや、という思いである。”
オテツ婆さんも安江も全部が悪いところばかりではないからこういうことを
文治は思うのだろう。
・狸と霊感
当たるの八卦当たるも八卦当たらぬも八卦とはこのことだろ。阿久姫は小学校二年のとき
嵐の晩に、ハワイのタヌキが彼女に乗りうつって、耳元で阿久姫と呼んで以来不思議な霊感が宿るようになった。でも自分の学業のことや結婚はうまくいかないらしい。
私だったらもっとそういう力を学業に活かせるようにしたい。けれど実際問題
阿久姫にみてもらいたい人はどんどん来るし、政治家や地位の上の人までも来る。後援会も
いる。そうするとお金の心配がいらないとなるとやっぱり阿久姫みたいになってしまうのだろう。
後援会の人が阿久姫に神様に近い顔にならんもんかしらと整形を進めるところはなんとも
言えなかった。やっぱり神様に近い顔じゃないと信憑性がない?外見重視なの?
やっぱり女優さんのようにきれいじゃないとあかんのやろか?
・かげろうの女ー右大将道綱の母ー
大昔の話とは思えない。今も昔も結婚生活は変わらないものだ。(結婚制度自体は違っている。一夫多妻制でも認められている)それでも夫がねぼけて自分と違う名前をいうのは
気持ちいいものではないだろう。夫の浮気性は治らないし、飄々としている。それではなぜ結婚してしまったのかと後悔している。それかといって夫が死にそうなときに”「ほんまはなあ、どこの女より、わしは、あんたが一ばん好きやねんで」”と一番言ってほしい言葉を言ってくれる。尼になるといった時も、懸命に止めてくれたけれど浮気癖は治らない。家にもほとんど寄り付かない。
たまに現代の話なのではと勘違いしてしまう。浮気は治らない。ある種の病気みたいなものだ。どこまでが浮気かと言われると人それぞれで定義できない。私自身されたことはないが私が
しらないだけでしているのかもしれない。されたとしても多少は気持ち悪いが、先ほども書いたように何年も一緒にいると浮気しようがしまいがどうでもいいようになってくる。
多分愛情ではなくて、同居人感が出てくるのだ。そしていつもいるはずの場所にいないと
寂しい。