「百姓の足、坊さんの足」

新見南吉といえば

内容
「百姓の足、坊さんの足」の他に10話の作品が
載っている。

感想
新見南吉と言えば「ごんぎつね」が有名だ。教科書にも載っているし、
何度も朗読をして覚えている。最後には兵十に火なわ銃でごんは撃たれてしまう。
悲しい結末だけれど、自業自得(きつねだから違うかも?)か、それとも
兵十の気持ちを考えると大変なことをしてしまったと後悔するのか、色々な
気持ちが入り混じる。子供の時に読んだ時には、自業自得としか思わなかったが
大人になるとこんな事も感じるのだなと思った。

「百姓の足、坊さんの足」は米初穂に行って、せっかくもらったお米なのに
百姓の菊次は土にこぼしてしまい、慌てて拾おうとするが、雲華寺の和尚さんは
土がまじっておってだめだと足でけちらし、菊次もしかたなく和尚さんのまねを
して足でけちらしてしまう。そのことで原因かは分からないが菊次は足が不自由になって
しまった。和尚さんは何事もないのに、菊次はなぜ自分だけ足が不自由になったのかを
考えた。菊次は自分が百姓なのにお米を作る苦労を知っているのに、お米を粗末に扱ったのでばちが当たったのだと思った。菊次は生きている間に生まれ変わったように美しい心になった。その後にも続きがあるのだが和尚さんと菊次が亡くなった後の話だ。
和尚さんはお寺で老人たちにお説教はするのに、結局大事なことはわかっていなかった。
だから米初穂でもらった大切なお米をこぼしてしまったといって足でけちらすような
真似をしたのだ。
百姓じゃなくても、お米を粗末にすることはいけないことを昔から親や祖父母から
教えられるものだ。
私もお茶碗にご飯が残っていると親に怒られていた。勿体ないこともあるし、お米を作ることは作ってもらった人に感謝することや食事を作った人のことを考えるとやっぱりきれいに食べないといけない。いくら飽食の時代でも自分が食べきれる量を食べきるのが大事だと思う。

この本の中で私が一番好きな話は「きつね」だ。文六ちゃんがおかあさんに
”きつねになったらどうする”と話をするところからの場面が好きだ。
文六ちゃんはおかあさんに甘えるし、おかあさんは可愛がる。
文六ちゃんはもしもの話でおかあさんがいなくなったらというとわめきながら、
なみだがどっと流れた。
”おかあさんも、ねまきのそでで、こっそり目のふちをふきました。そして、文六ちゃんが
はねとばした小さなまくらをひろって、頭の下にあてがってやりました。
最後のこの文章は母子の何気ない日常だけれど、深く心に残った。
特別なことではなく、普通の生活の中で幸せを感じられる。
子供を持つと大変だけれど、何気ないときに幸せを感じられる。
そのことを改めて、思い出させてもらった。子供が小さい時はあっという間に時間が
立ってしまう。今この時を大切にしたいと思う。

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