内容
柳田国男の先祖の話を漢字にはふりがな、現代仮名遣いして語注もあり
読みやすくしてある。著者の鑑賞(感想の間違いかと思ったが鑑賞の意味を
調べると”芸術作品を聞いたり読んだりしてその良さを味わう”とあるから
著者もそのように大事な作品なのだとよくわかる)もある。
感想
昔からある行事、お正月やお盆や墓参りなどはなぜこのやり方なのか、
実家の地域と嫁いだところのやり方も違っていて、宗教の違いがあるからかな
ぐらいにしか考えてなかったし、今までそんなに深く考えたことがなかった。
幽霊や霊魂を信じるのは亡くなった人がいつまでもそばにいてくれて
見守っていてくれることやお葬式でやるべきことがあること(亡くなった人を
思う暇を少しでも与えない)で残ったものもショックを少しでもやわらげることではないだろうか。
霊魂や幽霊がいることや輪廻転生を信じているからこそ昔からある行事を
行う。お祭りに対しても○○の神がいるからや厄払いでお祭りをするのだと思うが
昔は何もイベント事もなく生活も厳しい中で楽しい行事やこの時期がきたら
この行事をすることで今年もここまできたのだなと実感するためにすることも
あったのではないか。
「二つの実際問題」の中で”少なくとも国の為に戦って死んだ若人だけは何としても
之を仏徒の謂う無縁ぼとけの列に、疎外して置く分けには行くまいと思う。”
あとがきに著者が”柳田は戦死者の慰霊のは社会の問題であり、招魂社(靖国神社)や
護国神社に委ねるわけにはゆかないと考えたにちがいない。
そして必ず直系の子孫が祭るのではならないという思想に訂正を加え、死者が跡取りならば
世代に加え、そうでなければ初代にして分家を出す計画を立てることを提案する。”
このようなことが一番柳田国男が伝えたかったことではないかと思う。
ふりがなや現代仮名遣いで読みやすいと思っていたがまったくそんなことはなかった。
読めるだけで、なかなか理解できなく、理解していないのに著者の鑑賞が入ってその中で他の人が批判しているなど書かれていたらどこが批判の対象になるのかそう考えているうちに余計にわからなくなった。祖先の話だけを読んだほうが良かったのか、それとも他の作品も多く読んで
理解できるまで読めばいいのか。もっと有名な作品から読んでみたほうがよいのか。
いろいろまよってしまうがこれに懲りずに他の作品も読んでみようと思う。