「カウント・プラン」

数えられずにはいられない

内容
「カウント・プラント」「黒い白髪」「オーバー・ザ・レインボー」
「うろこ落とし」「鑑」の4つの短編小説からなる。

感想
「カウント・プラン」
計算症は強迫観念症の一種で、眼に入ったものは数えずにはいられない。
自分がそういう症状になったら、つらいだろう。福島浩一のように
なるべく人とは接せず、本を読んでいるだろうし、変化のない
毎日同じ繰り返しの生活をせざるおえない。
強迫観念症ですぐ思い浮かべるのは疑惑症だ。疑惑症とは自分の行為を
病的に点検するもので、鍵をかけたかと繰り返し何度も確認したりすることだ。
私も疑惑症まではいかないが、自分自身が信用ならず、他の人に確認を
してもらい、安心感を得る。
うまく説明はできないが心の健康な人と精神病の人とは
ほんの少しの違いしかないのだろう。遺伝的なものもあるとは思うが
過酷な環境になれば、誰しも精神病になるのでは?と思う。環境の
平安があればこそ、心が健康でいられる。

「黒い白髪」
お寺の坊さんと葬儀屋が悪党だ。死んだ後にお世話になる職業だけに
その人たちが悪党だと世も末だと思えてくる。もちろんそれらの人々も
生活していかなくてはいけない。だが犯罪に手を染めてまでやることではない。
どいつもこいつもこの小説ではお金のことしか考えていない。
お金が欲しいのはわかるが、これだけ欲深いとうんざりしてくる。

「オーバー・ザ・レインボー」
犯人の深堀にも深堀に誘拐された瑠美の母親にも全く理解できることが
できない。瑠美の母親は瑠美をパチンコ屋に放っておいて自分はパチンコに
夢中になっている。昔だったらよくある光景かもしれないが今では
許されない。子供を放置してまでもパチンコに行きたいと思うのは
ギャンブル依存に近い。パチンコは勝つと思って行っているが
ほとんど負けだ。負けるのが分かっていてやるパチンコや賭け事は面白くない。
深堀のようにアロワナなどの魚やセキセイインコは興味がない。深堀は
違う目的で飼育していたのだろうがそれもまたわからない。
”深堀は狂ったようにわめきだした。「おれの頭の中にはな、子供のころから
キラキラの虹がかかってるんや」”
この言葉で深堀は違う世界にいるんだろうなと思った。
 
「うろこ落とし」
ずっと仲良しだと思っていた友人がそうではなかった。友人でも
性格やその他のことで上下関係に出来てしまって、いつでもそういう
関係に振り回されてしまうのはつらい。男はそういう関係があるのかどうか
わからないが、女は意外とそういう関係が多いのではないか。
その関係が破綻し始めたらあっという間に壊れるか復讐に走る。
表面は仲良くしていてもわからないのが女だ。

「鑑」
今村が女の人のごみを漁るところは本当に気持ちが悪いと思った。
そういう趣味がある人がいるのは知っていたが、描写されると
震えるくらいおぞましい。
ごみは個人の色々な情報があるから、捨てるときには気を付けなければと
思った。でも人のごみを漁るなんてやっぱりおかしい。今のご時世
どんな菌がついてるかもしれないものを好き好んで触るなんて。
でもそういう趣味の人はそう言うことも込みで興奮するんだろうな。
やっぱり気持ちが悪い。

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