「ユダヤ教キリスト教イスラーム」

イスラームのことを何も知らなかった

内容
ユダヤ教キリスト教イスラームの別々の宗教を
一神教としての視点から見ている

感想
イスラームといえばテロや過激派のことばかりが目立って
恐ろしい宗教だとずっと思っていた。でもそればかりだけではなく
福祉や平等など良い側面もあることを知った。

イスラム教はなぜイスラームなのか。理由はいくつもある。
”イスラームという言葉の意味は「絶対服従」である。実質は
アッラーに無条件にしたがう教えをさしている。そこにはすでに
「教」の理念が含まれることになる。(中略)
イスラームは宗教であるばかりでなく、生活のすみずみまで浸透し、
法や政治をも包括するシステムとして機能している。したがって
「教」という言葉の枠には収まりきらない。”
ずっとイスラム教だと思っていた。ほかにも
”マホメットかムハンマドか、コーランかクルアーンか。どちらで呼ぶべきなのか。
マホメットとコーランは、イスラームを信仰しない人の呼び方である。(中略)
ムハンマドとクルアーンは、イスラームを信仰する人の呼び方である。(中略)
ただ、いまだマッカはメッカ、マディーナはメディナのままである。”
呼び方すら知らなかった。まだまだ世の中には知らないことだらけというのを実感した。

”ジハードという言葉はすっかり有名になった。聖戦という訳語も定着している。
辞書を見れば、「神聖なる目的のための戦争」などと書いてある。
しかし私たちの理解はそうではない。無差別テロ攻撃。これを「聖なる」戦いと
呼ぶやつらがいる。そんなふうに逆説的な意味で捉えている。
こうした思い込みとまったく対照的なのが、イスラームに親しい人たちの意見である。
ジハード、イコール戦争ではない。本当の意味は「信仰のために努力すること」だと
いう。それはそのとおりだが、努力することの中身はさまざまである。ジハードがただちに戦争ではないとしても、戦争は確実にそのなかにふくまれている。それはジハードという思想が生まれてきた歴史を見れば明らかである。”
信仰のためには何をしてもよいと思うこと自体がすごい。自分の中の善悪も
自分の考えではなく信仰のみで委ねてしまうのは、怖い気がする。

一神教の教えは(それ以外の宗教でも)教義についてはどう決まっていくのだろう?
私が考えたのは一神教だともし、間違っていた教義だったら(神様は間違えないとは
思うけど)誰が正すのだろう。多神教だったら他の神様がこれおかしくない?って言って
話し合いがありそうだけれど、一神教だったら、独裁者と同じで有無も言わさず決まって
しまうのではないか。そもそもコーランだってアラビア語以外は「解釈」にすぎないの
だから、本来の解釈と異なるとなったらどうするだろうとかいろいろな疑問が出てくる。

何冊か宗教の本を読んでいるけれど、やっぱり私には信仰する気持ちがないというのが
あらためてわかった。仏教やキリスト教やユダヤ教やイスラームは良いことも沢山
書いてある。でも宗教に入らなくても、良いことは出来る。

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