「白い人 黄色い人」

劣等感

内容
「白い人」「黄色い人」アデンまで」「学生」
短篇集

感想
「白い人」
サディストで斜視の私、神学生の兎口のジャック、そばかすだらけの瘦せこけた
マリー・テレーズ。戦争が始まる前の不安定な時代からそれぞれ関わりあう。
基督教の信者ではないし、戦争の経験もないが読んでいると、
キリスト教にすがる思いや、戦争での緊迫感が分かる。
自分がいた街も何もかも燃えてしまって、どうすることもできない。
明日へも知れない状況になってくると段々人は投げやりな気分になってくる。

「黄色い人」
この短編が一番心に残った。
”キミコは、私にゆさぶられて乱れた髪をなおしながら呟いた。
「なぜ、神さまのことや教会のことが忘れられへんの。忘れればええやないの。
あんたは教会を捨てはったんでしょう。ならどうしていつまでもその事ばかり
気にかかりますの。なんまいだといえばそれで許してくれる仏さまの方が
どれほどいいか、わからへん。」
キミコの言っていることに衝撃を受けた。デュランは基督教しかないのに
そんなことをいうとは。キミコが言ったようにそのことが出来れば
デュランはもっと楽になるかもしれない。だがやっぱり出来ない。
神さまに見捨てられても、教会に背いても。

”布教以来十二年、今日はじめて私は異邦人の(つまり神を知らざりし者達の)
倖せを知った。倖せかどうか、私は断言できない。だがキミコや昨日の千葉とよぶ
青年たちの持つあの黄色人特有の細長い濁った眼の秘密だけは
わかったような気がする。にぶい光沢をたたえた彼等の眼は死んだ小禽の
眼を思わせる。そのどんよりとした視線は私たち白人がなぜか不気味にさえ
感ずる無感動なもの、非情なものがあるのだ。それは神と罪とに無感覚な
眼であり、死にたいする無感動な眼だった。キミコが時々、唱える、あの
「なんまいだ」は私たちの祈りのようなものではなく罪の無感覚に都合がよい
呪文なのだ。”
一神教の外国人には日本人はそう見えるのかもしれない。神も罪も信じては
いないのだから。一神教の外国人から見れば、神さま、仏さまにすがる
多神教の日本人は理解しがたいと思う。この感覚は永遠に理解できないのじゃないか。

「アデンまで」
日本人で日本にいると肌の色での差別はほとんどない。私も肌の色で
差別を受けたことはない。でも他のアジア以外の国に行くとこんなに
差別を受けるのだろうか。肌の色は生まれたときからどうしようもないのに。
そういう世界にいれば色のついていない人種は差別をし、色のついている人種は
劣等感が生まれる。肌に色がついているというだけでコンプレックスに
なる世界にいるのは辛いと思う。どうか肌の色だけで差別がなくなりますように。

「学生」
”俺は思わず眼をそむけた。俺は彼と俺との立場が逆転したことを感じた。
だが、彼は俺たちの仲間でもない。亦「白い手」の人間でもない。
「別の者」と変わったことがわかった。その別の者が俺には恐ろしくなった。”
暴力が人を見た目も何もかも変えてしまった。それが通るような時代に
生まれなくてよかった。

遠藤周作がこんなサディスティックな短篇を書いているとは!
初めのほうの作品だからこんなにとがっているのかな。
エッセイの時とは大違いだ。

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